さて、誠に不謹慎な話で恐縮ですが、最近のニュースを聞くまで「シンモエダケ」は、競走馬の名前と承知しておりまして、火山の名前とは存じておりませんでした。実は、子供心に焼き付いている1枚の写真とアナウンサーの実況がありましてね・・・


その後、シンモエダケは、シンザン記念といった重賞レースも制し、12戦8勝という成績を従えて、昭和47(1972)年のGTレース「桜花賞」では大本命の1番人気になったのでした。しかしながら、桜花賞では、ゴール前直線で馬群に沈み、7着に終わりました。「シンモエダケはどこだ?」と叫んだ関西テレビの杉本アナウンサーの実況が今でも耳に残っております。
話を火山のシンモエダケに戻します。以下、過去にシンモエダケの近くで撮影した蝶の写真を蔵出し掲載し、噴火による被害が最小限にとどまることを祈ります。






ところで、なんで↑あんな昔のスポーツ誌の切り抜きを持っとんねん?・・・って不思議に思われるでしょうが・・・




無印で、全く人気のない馬が、いきなり重賞レースで1着になった時の馬主の気分ってどんなんやろ・・・きっと、まさかおるとは思われん地域で蝶の初記録を出した時の蝶屋の気分に違いない・・・と確信しているのでございます。どうやら、管理人には、間違いなくギャンブラーの血が流れているような・・・
【追伸】
「やんざぶろうの猛禽撮影日記」をお気に入りブログに追加しました。超望遠レンズでの迫力ある画像ですわ。鳥屋?さんはGO! 「その他」のカテゴリーではギフチョウさんの写真も出てきます。
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シバハギ上でのタイワンツバメシジミ♀のチラリズム!
涙チョチョギレますぅ。
現地周辺が、1日でも早く、
このような環境に戻るよう願っております。
地元の方々や、その関係者の方々は、
不安な日々を過ごされておられるのでしょうね。
自然には逆らえませんが、
その被害が、最小で治まる様、願っております。
わをっ、サッカー中にコメント、おおきにです。
現在、ハーフ・タイム・・・
そう、この写真を撮った辺りは、一面灰色の世界になっているんじゃないかな・・・噴火が早くおさまってくれることを祈ります。
このワンツ画像、チラリズムのものも含めて、尾状突起は全て綺麗に風で流れてますしね。本種♀特有の翅表のオレンジはえぇもんです。
現地の皆さんと蝶の平安を祈っております。
シンモエダケに絡むお話、興味深く読ませていただきました。
タイワンツバメも生きているのを拝んだことがないので、開翅写真の難しさなどは分かりませんが、いつ見てもkenkenさんの写真には唸らされるばかりです。
噴火も長引きそうですが、なんとか収まって元のくらしに戻る日が早くくることを祈るばかりですね。
撮影地はまさに灰の下になってしまったのでしょうね。
被害が最小限におさまえい、一日も早く噴火がおさまる事を願ってやみません。
いつもコメント、おおきにです。
私も競馬には疎いのですが、身内に競馬狂がおりましてね、よくTVでレースを見ておりました。
シンモエダケ、こんな名前の馬がおったんですよ。
タイワンツバメ、特に♀はなかなか開翅してくれません。私にだけサービスが悪いのかもしれませんが・・・上の写真のように翅をスリスリする仕草はよく拝ませてくれるので、後翅表のオレンジがチラりと覗いた瞬間を撮っております。
噴火だけは、人の力ではどうにもなりませんね、1日も早い現地の安寧を祈るばかりです。
こんな感じで、子供の頃から、疎いながらも、強制的に競馬を知っていたりします。(笑) 以前にも書いたかな・・・元祖「凄いぞ、凄いぞ!」も、元はと言えば、杉本アナウンサーの競馬の実況中継からヒントを得て書き始めた決まり文句だったりします。
この生息地は、おそらく火山灰の被害があるんじゃないかな・・・今年の夏は行くべきか、行かないべきか・・・できることは、火山活動の早期休止を祈ることですわぁ。
Webで調べると確かに馬主にお名前が載っていました。
GUに勝利した馬の馬主とはちょっと想像がつきません。
確かにこの時は血が逆流するほど興奮したのではないでしょうか。
タイワンツバメシジミの生息地はあまり被害がないことを祈ります。
ご無沙汰いたしております。実は、貴兄の過去の写真整理シリーズにヒントを得て、私も昔の写真やグッズを蔵出ししてみました。
そう、デイリー杯は、現在のGUレースなんですわ。
おっと、Webで検索とな・・・私も調べてみましたら、ホンマや、載ってますね!恥ずかしながら、ズバリ書きますと、馬主は、今は亡き、私の祖父でございます。まあ、なんちゅうか、馬にのめり込んでいたということでございましてね、それゆえ、それが隔世遺伝して、私は蝶のめり込む・・・そんなことかなと妙に納得していたりします。(笑)
タイワンツバメ、昨年は撮影に訪れていないので、今年は訪問しようかと思っていましたが、う〜ん、被害が最小限に収まることを祈る日々でございます。
寺山修司さんの競馬放浪記なんか読むと、馬券買わなくても血が踊るような気がしてましたが。私は馬にはのめりこまずに済んで居ります。
うはは・・・お読みになりましたか・・・再コメント、おおきにです。のめり込むのは、確かに血筋かもしれませんね。
ん、しかし、貴兄も蝶にのめり込んでいるのでは?(笑)
私、たまに馬券を買いますが、当たりませんねぇ〜血も踊りませんし、やっぱり、蝶向きのようです。
kenkenさまから競馬のお話が聞けるとはビックリです(笑)
それも昭和46年の「名馬」とは驚きですね
昨日もまた大きな噴火があったそうな・・・・
今後の動きがとても心配ですね
大きな影響が無ければ幸いですね
ご無沙汰いたしております。
むふふ・・・今回は妙な記事で驚かれたのでは?(笑)
競馬には疎いのですが、子供の頃、なぜかTV中継は強制的に?(1台しかTVない時代でした)見ていました。
シンモエダケは、この桜花賞で7着に敗れて以降、輝きをなくして、その後、1勝もできずに引退してしまいました。不思議なお馬さんです。
山のほうは、噴火は、早く引退してほしいものです。
噴火当日の1月26日に私も「シンモエダケ」の事をブログアップしていたのです。
@子供の頃、シンモエダケをキノコの名前から馬名を取っていたのではと思っていた事A杉本アナの「シンモエダケはどこだ」のフレーズの事。
まったく同じ体験の方がいらっしゃるのだと驚いております。おまけに自分のブログを後から読み返して思い出したのですがAは実は杉本アナのフレーズでは無く、その数年前に同じ桜花賞の本名馬ヤマピットが惨敗したレースで、当時の実況アナ(杉本氏の先輩)が「ヤマピットはどこだ!」と言っていた事実と勘違いしておりまして・・・汗。覚え違いまでが酷似していて・・・爆笑です。
こちらこそ、はじめまして。
ハンドルネームから検索して貴ブログ、早速、拝見しました。
ひゃあ〜、ホンマに同じようなことを感じていたんですね、自分を鏡を見ているようで、驚きですわ。当時、まだ子供だった私は、競馬のことはよく分からなかったのですが、故・祖父が大の競馬キチでしたので、日曜になると、1台しかないTVは、祖父が競馬場に行かない限り、競馬中継にチャンネルが合っていました。なので、変わった名前の「シンモエダケ」は、よ〜く記憶に残っておりました。
当ブログは、ご覧のとおり、「蝶撮影」に特化したものです。蝶撮影で新燃岳の近くまで行ったことがあったので、「新燃岳」という文字を見ていたはずなんですが、それを「シンモエダケ」とは読んでいませんでしたね。
杉本アナの実況の記憶は、お書きのとおり、私も同じような記憶違いのようですね!(爆)あの独特のしゃべくりなので、勝手なイメージが焼き付いているようです。ん、でもね、雰囲気は合っているハズで、「シンモエダケは馬群に消えたっ」だったような気もしてきました。当時のシーンのビデオがあったら見たいもんですわぁ。
最後に・・・今回のご訪問&コメント、本当に有り難うございます。
当ブログ、ごく稀にですが、馬や虎の話題も出てきますので、また訪れてやって下さいませ。
ちなみに、最近の虎の話題(だいぶ前ですが・・・汗)は↓でございますよ。
http://blogs.dion.ne.jp/melitaea/archives/8377879.html
確か杉本アナは前年のトウメイが二着の桜花賞から実況だったと記憶してます。
馬券かいはじめたのは昭和47年からですからね。懐かしい・・・・・
S氏も格闘技と競馬大好きでしたのね。
この実況たしか武パパ騎乗のタカエノカオリが勝ったのかな。49年に北海道でお世話になった先輩の友人はなんと隆栄牧場でバイト、たしか口取り写真が飾ってあった思い出があります。
おおっ、ご無沙汰いたしております。コメント、おおきにでございます。
う〜む、「優駿」のバックナンバーとは渋いですね。「ゴング」もあるんですよね。
いえいえ、んっとですね、このシンモエダケが出走した桜花賞で勝ったのは、武パパですが、アチーブスターでした。その2年後に、やはり武パパでタカエノカオリが勝っておりまする。
トウメイも印象に残る馬ですね。トウメイに続いて子のテンメイが天皇賞を制した時の「親子2代の天皇盾」という実況が耳に残っております。
ちなみに、問わず語りですが、上↑のデイリー杯3歳ステークスを制したフクリュウヒカリは、カバーラップ二世の系統でありまして、秋の天皇賞3200mを大逃げを打って逃げ切ったプリティキャストもこの系統なんですわ。「もう2番手以下は絶対に届かない」という実況も耳に残っています。・・・結構、競馬中継見とったなぁ・・・(笑)